―文化財の価値を、いま誰が決めるのか

2026年5月19日、NHK「クローズアップ現代」が博物館の収蔵庫問題を取り上げた。全国の博物館の6割以上で収蔵庫が満杯になっており、西日本のある博物館では収蔵品の約3分の2を数年かけて焼却処分したという。寄贈を申し出ても断られ続ける地域住民の声も紹介された。

番組では、奈良県知事がこう発言した。「明確なルールを決めた上で価値のあるものだけ残して、それ以外のものは廃棄処分するということ含めて検討せざるを得ない」。

一見、合理的に聞こえる。限られた予算と収蔵スペースの中で、何かを選ばなければならない。その苦しさは理解できる。しかし、この言葉には問い返さなければならないことがある。「価値のあるもの」を、誰が、何を根拠に、いつ決めるのか。

「価値のあるものだけ残す」という言葉の危うさ

文化財の価値は、時代とともに変わる。

国立科学博物館には、長年「山犬の白骨」として保管されてきた資料があった。2024年、再調査によってそれが絶滅した日本狼であることが判明した。130年にわたって保存されてきたからこそ生まれた発見だ。もし「価値が不明確」という理由で処分されていたら、その事実は永遠に失われていた。

これは例外的な話ではない。DNA解析、AIによる画像解析、新しい年代測定技術——研究手法は常に更新される。かつて「ただの古道具」として扱われた民具が、民俗学研究の進展によって地域文化の証拠になった。「石ころ」同然に扱われた黒曜石の破片が、産地分析によって縄文時代の交易ルートを示す資料になった。価値は最初からそこにあったのではなく、問いを持った研究者が現れたときに初めて見出された。

「価値があるかどうかわからない」という状態と、「価値がない」という判断は、まったく別のことだ。その区別が、今の議論の中で曖昧になっていないか。

埋蔵文化財は、「数」があるから見えてくる

博物館の収蔵庫問題では、民具や農具が「同じようなものが多すぎる」として槍玉に挙がりやすい。クローズアップ現代でも、くるりぼう(麦や豆の脱穀に使う農作業道具)が50本以上収蔵されている場面が紹介され、「1〜2本あればいいのでは」という感想が添えられた。

しかし、それは違う。

50本のくるりぼうをよく見ると、叩く部分が細長いもの、平で長いもの、太くて重いものと、一本一本形状が異なる。その差異が、地域ごとの農業形態や気候条件、職人の技術的系譜を示す。同番組では、広島県の漁業に関する資料130点近くが、まとまって保存されることで地域の産業文化を語る資料群として評価された事例も紹介されていた。一点では語れないものが、集合として初めて語り始める。

埋蔵文化財も同じだ。土器1点では、その地域に縄文時代の集落があったことしかわからない。同一遺跡から出土した土器群を型式・層位・出土位置とともに整理すると、集落の変遷、他地域との交流ルート、食生活の変化が浮かび上がる。石器の組成を分析すれば石材の入手経路がわかり、獣骨の種類と量を比べれば季節ごとの活動圏が見えてくる。資料は単体ではなく、関係性として意味を持つ。

「同じようなものが多い」という感覚は、その資料の使われ方を知らないときに生まれる。「何のために残すのか」という問いに答えられないまま廃棄の議論が進むとき、最初に切り捨てられるのはこの「数の論理」で守られてきた資料群だ。

「やむを得ない」が、歯止めにならない理由

多くの文化財担当者は、この問題を誰よりもよく知っている。収蔵庫が満杯であることも、廃棄の不可逆性も、頭では理解している。それでも予算要求は通らず、収蔵庫の新設は見通しが立たず、寄贈の申し出を断り続けるしかない。「どうすればいいか」という問いを持ちながら、相談できる相手も参照できる前例も少ないまま、日々の判断を迫られている。

2026年3月、国は博物館の運営基準を改正し、収蔵品の廃棄を初めて明記した。「他の手段を検討した上で、なおやむを得ないと認められる時において慎重に行う」という文言だ。

クローズアップ現代に出演した専門家は、改正プロセスが約1年・4回の検討会という短期間で行われたことへの懸念を示した上で、こう指摘した。行政文書において「検討したが、やむを得ない」と書き込めれば手続き上は通ってしまう。「やむを得ない」という言葉は、実効的な歯止めにならない、と。

実際、地方の一部自治体では「収蔵庫がいっぱいになったら廃棄してもよい」という解釈が出始めているという。文言が独り歩きすることは、行政の運用では珍しいことではない。

栃木県立博物館が全国に先駆けて定めた廃棄基準は、誠実な試みだ。担当学芸員から担当課内の会議、企画会議、外部有識者を含む資料評価委員会へと、複数段階の審査を経る仕組みになっている。しかし、ルールがあることと、未来に責任を持てることは別の問いだ。外部有識者を含む委員会も、現在の専門知の枠の中にある。30年後の研究が何を必要とするかを、誰も知ることはできない。

「ルールがあるから安心」という着地点には、慎重でなければならない。

本当に必要なのは、「未来に判断を渡す」こと

「残す意味があるのか」という問いに、今の私たちは完全には答えられない。

求められるのは「今すぐ価値を決め切ること」ではなく、未来の人間が判断できる状態を維持して引き渡すことだ。資料を保管し、記録し、整理し、アクセス可能な状態に保つこと。廃棄はその選択肢をすべて尽くした先にある最終手段のはずだが、現実には財政的・物理的な限界が先に来て、他の手段を検討する前に廃棄の議論に入るケースが生まれている。

廃棄は問題を解決しない。資料がなくなれば収蔵スペースの問題は緩和されるが、それは「文化財を未来に引き継ぐ」という本来の使命を削ることで成り立つ。

同番組では、収蔵庫の新設に約9億円を要した事例とともに、収蔵庫を地域活性化の拠点と組み合わせて国の補助金を引き出した事例、複数施設が共同整備でコストを分担した事例も紹介されていた。財政的に不可能に見えた課題に、異なるアプローチで突破口を開いた事例はすでに存在する。

「廃棄か、現状維持か」という二択の中でこの問題を論じている限り、議論は袋小路に入る。その二択の外側に、まだ十分に検討されていない選択肢がある。それについては、次回のコラムで論じたい。

このコラムについて

CPSUSは、埋蔵文化財の保管・活用に関わる現場の課題を、政策・実務・制度の各層から発信しているNPOである。収蔵庫の不足、資料整理の停滞、廃棄の判断基準、外部保管の可能性—これらのテーマについて、自治体の文化財担当部署や教育委員会からの相談を受けている。

CPSUSでは、文化財の保管・活用に関する課題について、現場の状況を伺いながら、整理の方向性を一緒に考えている。収蔵庫不足、資料整理、廃棄基準、外部保管の可能性などで行き詰まりを感じている場合は、お問い合わせフォームからご相談いただきたい。

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参考資料

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「来られない」構造から考える文化財行政の人材問題

「学芸員の応募者が来ない」という声が、SNS上で話題になっていた。

自治体職員とみられるアカウントが、学芸員を募集したものの応募がなかったと投稿したことをきっかけに、多くの反応が寄せられていた。

資格は持っている。しかし、その給与水準では生活が成り立たない。
大学院まで進み、専門性を身につけても、任期付きや非正規雇用では将来設計が難しい。
あるいは、「学芸員になりたかったが、就職氷河期の頃は募集自体がほとんどなかった」という声もあった。

感情的な表現も少なくなかったが、単なる不満として片付けられる話ではない。

そこには、長年積み重なってきた文化財行政の構造的な問題が表れている。

本稿では、「学芸員が来ない」という現象を、単なる人手不足ではなく、専門人材の維持と継承という観点から整理してみたい。

「来ない」のか、「来られない」のか

まず、問いの立て方を変える必要がある。

本当に、文化財分野を志望する人材が減ったのだろうか。
それとも、志望しても働き続けられる条件が整わず、その結果として現在の状況が生まれているのだろうか。

1990年代後半から2000年代にかけて、多くの自治体では財政悪化や行政改革の影響を受け、専門職員の採用が抑制された。これは、いわゆる就職氷河期の時期とも重なる。

文化財行政や博物館分野を志望していても、採用枠そのものが少なく、別の職業へ進まざるを得なかった人材は少なくない。

現在、埋蔵文化財行政や博物館現場では、「中堅世代が少ない」という声を耳にすることがある。若手と定年前後のベテランの間が薄く、現場を支えるべき年代の層が十分に形成されていない、という感覚である。

これは個人の努力不足ではなく、採用が継続されなかった時期が存在した結果とも言える。

専門職は、採用を止めればすぐに断絶する。数年採らなかっただけでも、十数年後には中堅層の不在として現れる。

文化財行政は、その影響を現在になって受け始めている。

数字が示す埋蔵文化財行政の変化

こうした変化は、文化庁の統計資料にも表れている。

文化庁「埋蔵文化財関係統計資料 ―令和7年度―」(令和8年3月)によれば、全国の埋蔵文化財専門職員数は平成12年度に7,111人を記録した。その後減少傾向が続き、令和7年5月時点では5,571人となっている。内訳は、都道府県1,693人、市町村3,878人である。

ピーク時から約1,540人が失われた計算になる。

一方で、発掘届出等の合計件数は令和6年度で78,368件となっており、業務量そのものが大きく減少しているわけではない。

つまり、「人が減り、仕事は減っていない」という構造が、統計上も確認できる。

さらに重要なのは、その内訳である。

近年は、会計年度任用職員や任期付き職員への依存が進んでいる自治体も少なくない。統計上は「専門職員数」として計上されていても、数年で任期が終了する場合、継続的な知識蓄積は難しい。

埋蔵文化財行政は、単純な作業労働ではない。

遺構や遺物の理解だけでなく、地域史、過去の調査履歴、収蔵状況、報告書との対応関係など、多くの情報を長期的に把握しながら業務を行う必要がある。

しかし、担当者が短期間で入れ替われば、その蓄積は継続しにくい。

人員の「数」だけでは見えない問題が、そこにはある。

「経験者が欲しい」が、経験を積めない

もう一つ、埋蔵文化財分野には独特の難しさがある。

多くの自治体では、採用時に発掘調査経験や報告書作成経験を求める傾向がある。少人数体制の現場では、採用直後から一定の実務能力が必要になるためである。

その事情自体は理解できる。

しかし、文化庁「適正な埋蔵文化財行政を担う体制等の構築について」(平成26年報告)では、大学で発掘調査経験を積む機会が限られていることや、実践的な人材育成体制が十分ではないことが課題として挙げられている。

つまり、現場は経験者を求めるが、その経験を積める場が不足している。

採用されなければ経験が積めない。
しかし、経験がなければ採用されにくい。

この循環の中で、資格を取得しても文化財分野から離れていく人材が積み重なってきた。

SNSで見られる「あの時採用されなかった」という声は、単なる感情論ではなく、この構造の中で生まれている。

専門性に見合う処遇になっているのか

ここで、待遇の問題にも触れなければならない。

専門人材の確保を本気で考えるなら、給与水準や雇用形態の見直しは避けて通れない。

発掘調査経験や報告書作成経験を求めながら、任期付き・低水準の待遇で募集を続けても、人材が集まりにくいのは当然である。

文化庁の令和6年度講習会資料でも、発掘調査の現場環境や労働条件の改善は課題として挙げられている。これは単に作業環境の問題にとどまらない。専門職として働き続けられる条件を整えなければ、人材の確保も定着も難しくなるということである。

文化財行政を担う職員は、単に「文化財が好きな人」ではない。

発掘調査、法令理解、資料管理、報告書作成、保存処理、住民対応など、多岐にわたる専門業務を担っている。自治体によっては、開発事業との調整や事業者対応まで担当する場合もある。

しかし、文化財行政は自治体内部で優先順位が高い分野とは言い難い。

福祉、防災、子育て、インフラ整備と比べれば、文化財予算や専門職員の配置は後回しになりやすい。

しかも文化財行政の問題は、すぐには表面化しない。

整理遅延、台帳不整合、未報告資料、引継ぎ不足といった問題は、数年から十数年かけて徐々に蓄積していく。そのため、危機が見えにくいまま、人員削減や非正規化が進みやすい構造がある。

ここで問われるのは、応募者の意欲ではない。

専門職員が減り、届出件数は高水準のまま、少人数配置の自治体が多く、採用後の離職も一定数生じている。さらに、待遇や労働環境の改善も課題として示されている。

こうした状況でなお、「募集したのに来ない」とだけ言うのであれば、それは人材側の問題ではなく、受け入れる側の条件設計を見直すべき段階に来ているということではないか。

「文化財が好きな人なら来てくれる」という前提は、すでに成り立たなくなっている。

文化財行政は、専門職の善意や使命感だけで維持できる段階を過ぎつつある。

問題は「人数」だけではない

文化財行政の人材問題は、単に「人が足りない」という話では終わらない。

むしろ深刻なのは、知識や判断が個人に依存しやすいことである。

文化庁「埋蔵文化財専門職員の育成について」(令和2年3月)では、市町村における埋蔵文化財専門職員の配置状況について、1〜2名配置の自治体が40.9%、3名配置が21.1%とされている。

多くの自治体では、少人数体制で日常業務を回している。

その中で、担当者は長年にわたり地域の情報を蓄積していく。

どの遺物がどこに保管されているか。
過去の整理作業はどこまで終わっているか。
古い台帳と現在の収納状況に差異はないか。
未報告資料は残っていないか。

そうした情報は、本来であれば組織として共有されるべきものである。

しかし現実には、個人の経験や記憶に依存している場面も少なくない。

担当者が異動・退職した後、「台帳は存在するが現状と一致しない」「資料の所在確認に時間がかかる」「前任者でなければ経緯が分からない」といった状況が生じることがある。

文化庁資料では、埋蔵文化財専門職員の採用後3年以内離職率について、令和元年度18.7%、令和2年度11.5%、令和3年度11.2%という推定値も示されている。

採用できるかどうかだけでなく、採用した人材が現場に定着し、経験を積み重ねられるかどうかも課題になっている。

もちろん、全国の自治体が同じ状況というわけではない。丁寧に管理体制を維持している自治体も存在する。

ただ、人員削減と継続性の低下が進む中で、知識継承の問題が顕在化しやすくなっていることは否定できない。

文化庁の資料でも、専門人材の継続的な確保や、行政体制の維持の重要性は繰り返し指摘されている。

持続可能な文化財行政とは何か

文化財を守るというと、遺物や建造物そのものに意識が向きやすい。

しかし、実際には、それを扱う人材や運用体制が維持されなければ、保存も活用も成立しない。

たとえば、収蔵資料の整理状況が担当者個人にしか分からない状態では、異動や退職が発生した瞬間に業務は停滞する。

未整理資料の有無が把握できない。
台帳更新のルールが共有されていない。
写真データと実物資料の対応関係が不明確になる。

そうした状態が続けば、現場は「判断できない」状態へ近づいていく。

近年、文化財行政ではDX推進やデータベース整備の必要性も議論されているが、本質は単純なデジタル化ではない。

重要なのは、「誰か一人だけが分かっている状態」から脱却できるかどうかである。

専門知識を軽視するという意味ではない。むしろ逆である。

専門性が重要だからこそ、その知識を継続的に引き継げる仕組みが必要になる。

ベテランの退職は続く。
知識は、人とともに現場を離れていく。

その一方で、現場では「誰に相談すればよいのかわからない」という声も少なくない。

文化財行政に必要なのは、専門職員を増やすことだけではない。判断や知識を個人の中だけに閉じ込めず、必要な時に相談でき、引き継げる環境をどう維持するか——その仕組み自体が問われている。

「募集しても来ない」という声の背景には、単なる人手不足ではなく、専門的な知識と経験をどのように継承していくのかという、文化財行政そのものの課題が横たわっている。

参考資料

文化庁「埋蔵文化財関係統計資料 ―令和7年度―」(令和8年3月)

文化庁「適正な埋蔵文化財行政を担う体制等の構築について」(平成26年10月)

文化庁「埋蔵文化財専門職員の育成について」(令和2年3月)

文化庁「埋蔵文化財保護行政の現状と課題 令和6年度講習会版」

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報道をきっかけに考える

国史跡である池上曽根遺跡をめぐり、遺構を損壊した疑いで元サーカス団員2人が書類送検された、という報道があった。

報道によれば、2022年1月から7月の間、2回にわたり遺跡内に伐採樹木を埋め、遺構を損壊した疑いが持たれている。池上曽根史跡公園では、同年3月から8月にかけてサーカス公演が行われていたとされる。報道によれば、2人は容疑を否認しているとされる。現時点では容疑段階であり、個別の責任や事実認定について外部から断定することはできない。

本稿では、誰が悪かったのかを論じるのではなく、文化財に関わる立場から、別の問いを立ててみたい。

それは、国史跡として保護されている場所で、なぜこのような事態が起こり得たのかという点である。

文化財を損壊する行為は、当然ながら許されない。けれども、この問題を「文化財を知らない人がいた」「現場の誰かが不注意だった」という話だけで終わらせてしまうと、より大きな論点を見落としてしまう。

今回の報道が投げかけているのは、史跡を活用する場面で、保護に必要な情報が現場の行動に結びつく形で共有されていたのかという問いである。

池上曽根遺跡はどのような場所か

池上曽根遺跡は、大阪府和泉市池上町、泉大津市曽根町などに広がる弥生時代の大規模な集落遺跡である。

和泉市は、池上曽根遺跡について、南北1.5キロメートル、東西0.6キロメートルの範囲に広がり、総面積60万平方メートルに及ぶ大遺跡で、弥生時代を通じて営まれた環濠集落であると説明している。また、1976年に環濠に囲まれた範囲を中心として約115,000平方メートルが国史跡に指定され、1995年から史跡整備が行われてきた。

泉大津市の説明でも、池上曽根遺跡は1976年4月26日に史跡指定され、その後追加指定が行われたこと、指定面積が115,000平方メートルであること、史跡公園内には大型掘立柱建物、大型くり抜き井戸、竪穴住居、環濠などが復元されていることが示されている。

つまり、池上曽根遺跡は、単なる公園や空き地ではない。

弥生時代の集落の痕跡を今に伝える重要な遺跡であり、国史跡として保護され、同時に史跡公園として地域に開かれてきた場所である。

ここに、今回の論点の難しさがある。

史跡公園は、文化財を社会に開くための場所である。人が訪れ、歩き、学び、時には地域の催しの場にもなる。文化財を閉じ込めるのではなく、地域の人々が親しめる形に整備することには、大きな意味がある。

しかし、史跡公園である以上、そこは「使える場所」であると同時に、「守るべき場所」でもある。

この二つの性格が、利用者や主催者、委託業者、現場作業者にどこまで伝わっていたのか。今回の報道は、その点を改めて考えさせる。

史跡は「使える場所」である前に「守るべき場所」である

文化財保護法では、史跡名勝天然記念物について、その現状を変更し、または保存に影響を及ぼす行為をしようとするときは、文化庁長官の許可を受けなければならないと定められている。

史跡の中で土地を掘る、埋める、削る、構造物を設置する、杭を打つ、重機を入れる。こうした行為は、見た目には通常の作業に見える場合がある。しかし、史跡においては、それが地中の遺構や遺物に影響を与える可能性がある。

このことは、文化財関係者にとっては基本的な前提である。

しかし、その前提は、社会全体に共有されているとは限らない。

文化財の仕事に関わる人であれば、地面の下に遺構が残っている可能性を考える。史跡指定地であれば、現状変更の許可や文化財担当部局との協議を思い浮かべる。掘削や埋設がどれほど慎重に扱われるべきかも理解している。

けれども、イベントを行う人、設営や撤去を担う人、清掃や片付けの作業をする人にとって、その場所は「広場」や「公園」として認識されることがある。そこで行う作業も、通常の撤去作業や整理作業の延長として捉えられてしまう可能性がある。

ここに、文化財保護の盲点がある。

制度として史跡が指定されていても、その意味が現場で作業する人の判断に届いていなければ、保護は十分に機能しない。

「史跡です」と伝えるだけでは足りない。

その場所で、何をしてよいのか。何をしてはいけないのか。どの範囲に注意が必要なのか。撤去時に確認すべきことは何か。地面に手を加える行為がなぜ問題になるのか。

そうした情報が、現場の具体的な行動に結びつく形で共有されて初めて、史跡は守られる。

問題は「活用」と「保護」の情報設計にある

文化財の活用そのものが問題なのではない。

むしろ、文化財を社会に開き、多くの人がその価値に触れる機会をつくることは、文化財保護にとって重要である。文化庁の「文化財保存活用大綱・文化財保存活用地域計画作成等に関する指針」では、文化財保存活用地域計画の作成において、地域学習の教材等として文化財を活用し、学校教育・社会教育と連携した取組を位置付けることが有効であるとされている。また、民間との連携についても、地域社会総がかりによる取組を広げる観点から、行政による支援や役割分担を位置付けることが有効であると示されている。

だからこそ、問われるべきなのは、活用するかしないかではない。

活用するときに、保護の情報をどのように設計するかである。

史跡をイベント会場として使う場合、関係者は複数に分かれる。行政や文化財担当者がいる。公園管理者がいる。主催者がいる。設営・撤去を担う委託業者がいる。さらに、その委託業者の中で実際に現地作業を行う人がいる。

文化財担当者が説明したつもりでも、主催者の内部で十分に共有されていなければ意味がない。主催者が委託業者に伝えたつもりでも、現場作業者まで届いていなければ意味がない。書面に条件が書かれていても、それが現場で判断できる内容になっていなければ、作業の抑止にはつながらない。

もちろん、これは今回の具体的な事実関係を断定するものではない。

しかし、文化財の活用現場では、こうした情報伝達の断絶が起こり得る。行政、主催者、委託業者、作業者のどこかで保護情報が薄まれば、史跡はリスクにさらされる。

文化財保護に必要なのは、専門的な制度説明だけではない。

必要なのは、現場で行動する人が、その場で判断できる情報である。

たとえば、史跡指定地であることを伝えるだけではなく、地面を掘ること、埋めること、杭を打つこと、撤去物を一時的に置くこと、重機を入れること、原状回復の際に地表面へ手を加えることについて、何が認められ、何が確認を要するのかを具体的に示す必要がある。

文化庁の保存活用計画に関する指針でも、保存活用計画の作成・推進を通じて、保存・活用に関する基本的な考え方や、厳密に保存すべき箇所、改変が許容される部分・程度を明確化し、必要な許可や届出などの手続を分かりやすくすることが期待されている。

これは、今回のような史跡の利用場面にも通じる考え方である。

文化財を活用する以上、保存すべき範囲、許容される行為、確認が必要な行為を、関係者が共有できる形にする必要がある。

遺構は見えにくい文化財である

この問題をさらに難しくしているのは、遺構が「見えにくい文化財」であるという点である。

建物や仏像、絵画であれば、多くの人はそれが文化財であることを比較的理解しやすい。触れてはいけない、傷つけてはいけない、壊してはいけないという感覚も持ちやすい。

しかし、遺構は違う。

遺構は、地面の下に残ることが多い。柱穴、溝、土坑、炉跡、住居跡、環濠、土層の違い。これらは、専門的な調査や記録を通じて初めて意味を持つ場合が多い。一般の人が現地に立ったとき、そこに何が残っているのかを直感的に理解することは難しい。

池上曽根遺跡について、泉大津市は「いまなお地下に眠る、多くの遺構、遺物」を本質的価値の一つとして挙げている。史跡公園として復元建物や遺構復元が整備されていても、本来の価値の一部は、今も地下に残る遺構や遺物にある。

だからこそ、遺跡を守るには「知っている人だけが分かっている」状態から抜け出す必要がある。

文化財関係者の間では当然のことでも、一般の人にとっては当然ではない。史跡指定地で地面を掘ること、埋めること、土地の状態を変えることがなぜ問題なのか。その理由を、文化財に詳しくない人にも分かる言葉で伝えなければならない。

ここで必要なのが、文化財リテラシーである。

文化財リテラシーとは、専門家と同じ知識を全員に求めることではない。文化財とは何か。なぜ守る必要があるのか。遺跡や遺構はなぜ見えにくいのか。地面の下に残る痕跡が、なぜ地域の歴史を物語るのか。

そうした基本的な感覚を、社会の中に少しずつ広げていくことである。

学校教育、地域学習、現地説明板、ガイドツアー、博物館展示、ワークショップ、SNSでの発信。どれも一つひとつは小さな接点かもしれない。しかし、その接点がなければ、文化財は「知っている人だけが大切にしているもの」になってしまう。

文化財を社会に開くということは、文化財を知らない人と接点を持つということである。

その接点をつくる以上、文化財関係者の側には、伝わる形に翻訳する努力が求められる。

活用の現場で問われること

今回の報道を、文化財関係者はどのように受け止めるべきだろうか。

「文化財を知らない人が悪い」と言うことは簡単である。

しかし、それだけでは同じ問題を防ぐことはできない。

むしろ問われているのは、文化財を知っている側が、どこまで伝える努力をしてきたのかという点である。史跡を使う人に対して、何を説明していたのか。委託業者や作業者にまで届く形で情報を渡していたのか。現地で迷わず判断できる表示や資料があったのか。利用後の撤去や原状回復について、文化財保護の観点から確認する仕組みがあったのか。

これは、特定の自治体や団体だけの問題ではない。

史跡公園、博物館、資料館、収蔵施設、学校に保管された資料、自治体倉庫の出土品、地域で受け継がれてきた民俗資料。文化財は、さまざまな場所で社会と接点を持っている。

接点が増えれば、文化財を専門としない人が関わる場面も増える。

そのとき、文化財関係者の言葉が専門家の内側だけで通じるものであれば、保護の考え方は現場に届かない。

文化財を守るためには、専門性を下げる必要はない。

必要なのは、専門性を、相手が行動できる情報に変換することである。

「文化財を活用する」と決めた時点で、保護に関わる情報をどこまで共有するかという問いは、文化財担当者だけが抱えるものではなくなる。

行政、主催者、関係事業者、現場作業者、地域の人々。それぞれが、自分の立場で何を知り、何を確認すべきなのかを理解できるようにする。その仕組みを設計することが、これからの文化財活用には欠かせない。

CPSUSが考える、保存と活用の接点

CPSUSは、文化財の保存と活用のあいだにある距離を見つめていきたいと考えている。

文化財を守るには、制度が必要である。専門知識も必要である。調査、記録、整理、保管、管理の積み重ねも欠かせない。

一方で、それだけでは届かない範囲がある。

文化財に詳しくない人。日常の中で文化財と接点を持たない人。イベントや作業を通じて一時的に文化財に関わる人。これから地域の歴史を学ぶ子どもたち。そうした人たちに、文化財が「守るべきもの」として伝わる機会をつくることも、保存と活用をつなぐ大切な仕事である。

遺跡は、ただそこにあるだけでは守られない。

史跡に指定されているだけでも、説明板が立っているだけでも、十分ではない。そこがなぜ大切なのか。何をしてはいけないのか。どのように関わればよいのか。その情報が、関わる人の行動に届いて初めて、文化財保護は現場で機能する。

文化財を活用するということは、文化財を社会に開くことである。

そして、社会に開く以上、文化財を知らない人にも伝わる情報設計が必要になる。

CPSUSは、文化財を専門家の中だけに閉じ込めるのではなく、社会の中で守り、活かし、次世代へ引き継ぐための取り組みを進めていきたい。

文化財は、守る意思を持つ人だけでは守りきれない。だからこそ、守る仕組みを設計することが、文化財に関わるすべての人に問われている。

参考資料

・文化財保護法第125条
・文化庁「文化財保護法に基づく文化財保存活用大綱・文化財保存活用地域計画作成等に関する指針」令和7年3月最終変更
・文化庁「文化財保護法に基づく保存活用計画の策定等に関する指針」
・和泉市「史跡池上曽根遺跡」
・泉大津市「史跡池上曽根遺跡について」
・和泉市文化財活性化推進実行委員会ブログ「さくらサーカス(SAKURA CIRCUS)和泉公演 in 池上曽根史跡公園」2022年2月21日
・毎日新聞「遺跡に木11トン埋めたか サーカス団関係者を書類送検 大阪」2026年4月21日
・毎日新聞「さくらサーカス 遺構損壊で元団員2人書類送検された件で声明「心よりお詫び」「事実関係の確認進める」2024年4月24日

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文化財はなぜ必要なのか 社会・行政・地域における役割と現状
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2026年3月31日、文部科学省は「博物館の設置及び運営上の望ましい基準」を全部改正し、同日施行した。今回の改正では、博物館資料の管理の在り方を検討する際の選択肢として、「交換、譲渡、貸与、返却、廃棄等」が条文上に明記された。一方で、文化庁は同時に、博物館資料は後代の国民に継承すべき貴重な財産であることを目的規定に書き込み、廃棄については「他の手段を検討した上でなおやむを得ないと認められるときに慎重に行う」とした。つまり、今回の改正は単純に「廃棄を認めた」と読むべきものではなく、継承を原則としつつ、その例外に手続上の条件を課した制度改正として理解する必要がある。

だが、このニュースが現場に与える衝撃は小さくない。「廃棄」という言葉はそれ自体が強く、見出しになった瞬間に、「ついに国が処分を認めたのか」という印象を与えやすいからである。しかも今回は、単なる発言や報道ではなく、博物館法第8条に基づき文部科学大臣が定める「望ましい基準」に、その文言が入った。だからこそ、この改正を感情的な賛否に流さず、制度として何が変わり、何がまだ変わっていないのかを丁寧に読む必要がある。

CPSUSとしてこの問題を考えるとき、論点は「廃棄に賛成か反対か」では終わらない。むしろ先に問うべきなのは、資料を残すにしても、移すにしても、返すにしても、あるいは例外的に手放すにしても、その判断を支えるだけの管理基盤が整っているのか、ということである。今回の改正は、博物館資料の廃棄の可否よりも先に、日本の博物館と文化財行政が抱えてきた「把握できないまま抱え込む」という構造を、改めて浮かび上がらせた。

「望ましい基準」で、実際に何が書き換えられたのか

今回の全部改正で注目されたのは、第6条第2項の資料管理に関する部分である。文化庁が公表した通知とFAQによれば、博物館は、資料の将来的な整備および発展的活用に向け、収集・管理方針を踏まえた上で、再評価に基づく交換、譲渡、貸与、返却、廃棄等を含めた管理の在り方について検討するよう努めるものとされた。そして、その検討に当たっては、多様な関係者の意見を聴くこと、手続の透明性を確保すること、長期的かつ総合的な見地から行うことが求められている。さらに、廃棄については、他の手段を検討した上で、なおやむを得ないと認められるときに慎重に行う、と明記された。

ここで重要なのは、「廃棄」だけが独立して強調されているわけではないという点である。条文上は、交換、譲渡、貸与、返却と並ぶ一つの選択肢として置かれている。文化庁のFAQでも、「廃棄」の文言を削除しなかった理由として、実態として廃棄せざるを得ない場合があり得る以上、その手続上の歯止めを基準に書き込む必要があったと説明している。つまり制度の立て付けとしては、「廃棄を促す」よりも、「廃棄を含む判断をルールの外に置かない」ことに重点がある。

同時に、今回の改正は継承の原則も前面に出している。文化庁通知では、目的規定に、博物館資料が「わが国と郷土の歴史、文化等の正しい理解に必要な貴重な財産」であり、「後代の国民に継承することが将来の文化の向上発展の基礎をなす」ことを追記した。また第6条第1項にも、博物館資料をできる限り良好かつ安全な状態で将来の世代に継承することが重要であると明記された。したがって、今回の改正を「保存より廃棄へ方針転換した」と読むのは正確ではない。むしろ、継承の原則を確認した上で、その継承を支える管理の現実に踏み込んだ改正と見るべきである。

なぜ今、「廃棄」が基準に入るところまで来たのか

この改正の背景にあるのは、全国の博物館で深刻化している収蔵管理の逼迫である。日本博物館協会が2026年3月に公表した「令和6年度 日本の博物館総合調査 調査結果の概要(速報版)」によれば、本館施設の収蔵庫について、「9割以上(ほぼ満杯)」が39.3%、「収蔵庫に入りきらない資料がある」が24.4%で、合計63.7%に達した。さらに、7割以上収蔵している館まで含めれば全体の8割を超える。収蔵スペースの余裕がある館の方がむしろ少数派になっている。

しかも、この問題は一時的な現象ではない。国立国会図書館調査及び立法考査局のIssue Brief「博物館の収蔵管理の現状と課題」でも、日本博物館協会の2019年度調査に基づき、「9割以上ほぼ満杯」または「入りきらない資料がある」とした館が57.2%に上っていたことが紹介されている。そこから2026年速報では63.7%にまで増えている以上、収蔵管理の逼迫は改善していないどころか、さらに深まっていると見るのが自然である。

外部収蔵の余地も十分ではない。2026年速報版では、外部の収蔵場所を持つ館は32.8%にとどまる。言い換えれば、3館に2館以上は、本館以外に十分な逃げ場を持たないまま、増え続ける資料を抱えていることになる。収蔵庫の増設には、用地、建設費、維持管理費、人員の確保が必要だが、そのいずれも容易ではない。だからこそ、「入りきらない」という現実が、単なる物理的問題ではなく、資料管理方針の問題として表面化してきた。

さらに重要なのは、この問題の核心が「場所が足りない」だけではないことだ。国立国会図書館のIssue Briefでは、財源不足や建物の老朽化だけでなく、収蔵管理規定やコレクションポリシーの未整備、長期的見通しに立った収蔵管理の不足が課題として整理されている。資料の収集、登録、保存、活用、除籍に関する方針が明文化されていないまま、結果として資料だけが増え続ける。その状態が続けば、いずれ現場は「何をどう抱え続けるのか」を判断せざるを得なくなる。今回「廃棄」が基準に書かれたのは、その議論が制度の外では済まなくなったからだと言える。

問題は「廃棄か保存か」ではなく、判断できる状態にないことである

この論点でありがちなのは、「廃棄反対」と「現実対応」の二項対立に落ちることである。しかし、今回本当に深刻なのは、そのどちらの立場を取るにしても、多くの館が十分に判断できる状態にないことである。どの資料がどこにあり、どのような来歴を持ち、どの資料群と関係し、どの程度整理・記録が進んでいるかが把握できていなければ、保存の判断も、移管の判断も、返却の判断も、まして廃棄の判断も成り立たない。

この点は、文化庁が今回の改正で「再評価に基づく」管理の在り方を求めていることとも関係する。再評価とは、単に要るか要らないかを決める作業ではない。その資料が、どのような資料群の中でどんな意味を持つのか、他館や地域全体の収蔵状況とどう関わるのか、どのような保管や活用の可能性があるのかを見直す作業である。再評価に必要なのは価値判断のセンスだけではなく、その前提となる資料情報の整備である。情報が見えていなければ、再評価はできない。

現場が懸念したのも、まさにこの点だったと考えられる。文化庁が公表したパブリックコメントの結果では、意見総数は359件に上った。e-Govの結果公示でも、提出意見を踏まえて案に修正が加えられたことが示されている。関心がこれだけ集中した背景には、単に「廃棄」という語への心理的抵抗だけでなく、条件整備が不十分なまま制度文言だけが先行することへの不安があったと見るのが自然である。

国立国会図書館のIssue Briefでも、金山喜昭氏らのアンケート調査に基づき、収蔵資料の処分を行ったことがない館が60.2%である一方、処分しない、あるいはできない理由として93.0%の館が「収蔵資料の処分に関する規定がない」と回答したことが紹介されている。これは裏返せば、実務規程が未整備なままでは、現場は処分にも踏み出せないし、逆に言えば、規程がないまま処分が行われれば、説明責任も検証可能性も危うくなるということである。今回の改正が本当に突きつけているのは、廃棄の是非ではなく、判断を支えるルールと記録の弱さである。

廃棄の前に必要なのは、「把握」と「再評価」である

CPSUSの立場から言えば、今回の問題に対して最初に必要なのは、廃棄の可否を語ることではない。先に必要なのは、資料の所在、台帳、状態、来歴、資料群の関係、そして検討履歴を把握できる状態をつくることである。何があるか、どこにあるか、どの記録と結びついているか、誰が確認できるか。この基盤がなければ、交換、譲渡、貸与、返却といった他の選択肢を検討することすらできない。

今回の「望ましい基準」が求めているのも、実はそうした基盤なしには機能しない。文化庁通知では、第6条第1項で、保管施設・設備の長期的見通しに立ち、所蔵資料だけでなく、館外に所在する資料の状況も踏まえるよう努めるとされている。これは、目の前の収蔵庫だけ見て判断するのではなく、資料の全体像を把握しながら中長期で管理を考えるべきだということである。つまり、基準の条文は抽象的だが、その実務的前提はかなり具体的で、情報の可視化なしには成り立たない。

この点は、埋蔵文化財や考古資料の分野ではなおさら重い。これらの資料は、一点一点の美術品とは異なり、調査や出土状況、共伴関係、図面、写真、整理記録との関係の中で価値が立ち上がることが多い。数が多いからといって単純に余剰と見なすことはできないし、未整理だからといって価値が低いとも限らない。むしろ、整理と記録が不足している資料ほど意味が見えにくく、議論の中で不利になりやすい。だからこそ、「把握されていないものは、適切な再評価の俎上にも載らない」という逆説を直視する必要がある。

「慎重に」だけでは足りない。必要なのは、追える手続である

今回の改正で文化庁は、廃棄を含む管理の在り方の検討に当たり、多様な関係者の意見を聴き、手続の透明性を確保することを求めた。これは方向としては妥当である。だが実務上は、「慎重に」「透明性を確保して」と書かれただけでは、現場はまだ動けない。誰が関与するのか、どの段階で検討するのか、記録をどう残すのか、最終判断の責任はどこにあるのか。そこまで落ちて初めて、透明性は理念ではなく手続になる。

本来、透明性とは、単に会議を開くことではない。判断の前提となった資料リスト、再評価の観点、代替手段の検討経過、外部意見の内容、最終判断の理由、それらが後から追える状態で残ることである。特に公共的性格の強い博物館資料では、「なぜ残したか」と同じくらい、「なぜ残さなかったか」が後から検証可能でなければならない。今回の改正はそこまで詳細には書いていないが、逆に言えば、そこをどう整えるかは今後の各館、各自治体、関係機関の課題として残されている。

国立国会図書館のIssue Briefでも、ICOMの職業倫理規程などを踏まえ、収蔵品からの恒久的除去には、方針の整備、法的地位や意義の確認、完全な記録の保存などが前提になることが整理されている。つまり国際的に見ても、除籍や廃棄は「困ったら行う処理」ではなく、公共的信頼を損なわないための厳格な統治行為である。今回の「望ましい基準」も、本来はその入り口に立ったにすぎない。

今回の改正が本当に問いかけていること

今回のニュースを受けて、「ついに廃棄が制度化された」とだけ捉えると、本質を見誤る。今回、制度に書き込まれたのは、廃棄それ自体というより、廃棄が議論されざるを得ないところまで、収蔵管理の問題が進んでいるという現実である。収蔵庫は逼迫し、外部収蔵の余地は限られ、方針整備はなお十分ではなく、しかも資料は増え続ける。その中で、「どう残すか」の議論が「何を、どの条件で抱え続けるのか」という管理の議論に変わってきた。

CPSUSとして強調したいのは、廃棄の賛否に先立って、資料を判断可能な状態にすることの重要性である。残すためにも、移すためにも、返すためにも、例外的に手放すためにも、まず必要なのは把握であり、記録であり、再評価であり、追える手続である。そこを整えないまま「廃棄」だけが独り歩きすれば、残すべきものを失うだけでなく、判断そのものが継承されない。

今回の「望ましい基準」は、廃棄の是非について最終的な答えを示したものではない。むしろ、文化財や博物館資料を次世代にどう引き継ぐのかという問いを、収蔵管理の実務まで引き寄せて突きつけたものだといえる。見えにくい資料ほど、見えにくいままでは守れない。だからこそ今、本当に先に問うべきなのは、「廃棄してよいか」ではなく、「私たちは、判断に耐えるだけの管理を整えてきたか」である。

参考資料

文化庁 博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示(令和8年文部科学省告示第69号)について

文化庁 「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示」の公布について(通知)

公益財団法人日本博物館協会 令和6年度 日本の博物館総合調査 調査結果の概要(速報版)

国立国会図書館 Issue Brief 博物館の収蔵管理の現状と課題

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「魅せる収蔵庫」という言葉が、文化財行政の中で語られるようになってきた。
収蔵庫に保管された資料を一般に公開し、その価値を社会と共有する――その発想自体は、文化財の活用という観点から見ても重要な試みである。

しかし、ここで一つの疑問が生じる。

収蔵庫に収められていない膨大な遺物は、いまどこにあり、どのように扱われているのか。

収蔵庫に「入っているもの」だけを前提に議論が進められるとき、その外側にある資料の存在は、制度上も社会上も見えなくなってしまうのではないか。

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「魅せる収蔵庫」という発想が生まれた背景

佐賀県は東大と連携し、弥生時代を代表する吉野ケ里遺跡をはじめとした考古資料について、「魅せる収蔵庫」という新たな収蔵モデルの検討を開始した。

報道によれば、県内にはコンテナ換算で約5万箱に及ぶ考古資料が存在し、それらは4カ所に分散して保管されている。また、施設の多くは老朽化が進み、ネズミやイタチといった害獣への対応が必要な状況にある。さらに、これらの資料は一般公開される機会が限られており、活用の幅も限定的であったとされる。

こうした状況を受け、佐賀県は東京大学総合研究博物館と連携し、基本構想・基本計画の策定に着手した。2026年度には約2800万円の予算が計上されており、文化財の保管と公開のあり方を再検討する動きとして注目される(出典:毎日新聞 2026年3月19日)。

この事例が示しているのは、収蔵庫問題がもはや一部の現場の課題ではなく、政策として検討される段階に入っているという事実である。

収蔵庫に「入っている」資料と「入れてもらえない」資料

収蔵庫に収められている資料は、学芸員などの専門職によって分類・整理され、管理可能であると判断されたものである。すなわち、それらは制度上も「管理されている文化財」として位置づけられている。

しかし現実には、発掘調査によって得られるすべての遺物が収蔵庫に収められているわけではない。出土品の量は膨大であり、そのすべてを整理し、適切な環境で保管することは、多くの自治体にとって困難である。

その結果、収蔵庫の外には、未整理のまま保管されている資料や、分散した施設に仮置きされている資料が多数存在している。これらの資料については、その所在や数量、状態が十分に把握されていない場合も少なくない。

ここで重要なのは、収蔵庫に入っている資料だけが「管理されている文化財」として認識される一方で、収蔵庫に入らない資料は、制度的にも社会的にも不可視化されやすいという構造である。

優先順位が下がると、文化財は「消える」

文化財の保管には、施設整備費、維持管理費、人件費など多くのコストが伴う。しかし、文化財分野は行政の中で必ずしも優先順位が高いとは言えず、限られた予算の中で対応が求められている。

優先順位が下がると、まず予算がつかなくなる。その結果、保管環境の整備が遅れ、資料は仮置きのまま放置される。さらに、整理作業が進まないことで、資料の内容や価値が把握されないままとなる。

このような状態が続くと、資料は次第に存在感を失い、議論の対象からも外れていく。形式的には存在していても、実質的には「なかったこと」にされていくのである。

文化庁が示すように、出土品の増加と保管体制の不足は全国的な課題であり、整理・保管の遅れが深刻化していることが指摘されている。

「今わからない」は「価値がない」ではない

埋蔵文化財は、過去の人々の活動を直接的に示す一次資料である。その価値は、発見された時点ですべて明らかになるわけではなく、後年の研究や技術の進展によって新たな意味が見出されることも多い。

科学分析技術の進歩により、従来は不明であった年代や用途、産地などが明らかになる事例も増えている。このように、「今わからない」という状態は、「価値がない」ということを意味しない。

しかし、一度失われた資料は二度と回復することができない。文化財は不可逆的な資源であり、その取扱いには慎重な判断が求められる。

文化庁の報告においても、出土品については適切な記録と保存の必要性が示されている。

国民共有の財産という建前と現実のギャップ

文化財保護法において、文化財は国民共有の財産として位置づけられている。この理念は、文化財を将来世代に引き継ぐ責任を社会全体で負うべきであるという考え方に基づいている。

しかし現実には、文化財の管理は各自治体の財政状況や人員体制に大きく依存している。限られた資源の中で優先順位が付けられ、その結果として、十分に管理されない資料が生じている。

このような状況は、「国民共有の財産」という理念と、現実の運用との間に明確なギャップが存在していることを示している。

「魅せる」前に必要なのは「全体の把握」である

「魅せる収蔵庫」は、文化財の価値を社会に伝えるための重要な試みである。しかし、その議論が収蔵庫の中にある資料のみを対象としている限り、収蔵庫の外に存在する膨大な資料は依然として見えないままとなる。

本来必要なのは、収蔵庫内の資料だけでなく、未収蔵資料も含めた全体の把握である。どこに何がどれだけ存在しているのかを可視化しなければ、選別も保管も議論することができない。

台帳化されていない資料は、制度上も社会上も存在しないのと同じ扱いになりかねない。見えないものは守られないのである。

文化財の問題は、何を捨てるかという選択の問題ではない。
何が存在しているのかを把握しないまま選別が行われている構造にこそ、本質的な課題がある。

見えない遺物を、なかったことにしないために

「魅せる収蔵庫」は、文化財を社会に開くための重要な一歩である。しかし、その議論が収蔵庫の内部に限定される限り、収蔵庫の外にある膨大な遺物は引き続き不可視のままとなる。

国民共有の財産を未来につなぐためには、まず「どこに何があるのか」を社会が認識することが必要である。その上で初めて、保管、活用、そして選別のあり方についての議論が成立するのである。
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参考資料

毎日新聞「吉野ケ里遺跡などで『魅せる収蔵庫』検討」(2026年3月19日)
文化庁「埋蔵文化財保護行政の現状と課題」
文化庁「出土品の保管について(報告)」
文化庁「出土品の保管について(報告)<概要版>」
文化庁「出土品の取り扱いについて(報告)」