法律に明記されていない「原因者負担」の成り立ち
埋蔵文化財包蔵地で開発事業を行い、遺跡を現状のまま保存できない場合には、記録保存のための発掘調査が行われる。
その費用については、発掘調査の原因となった開発事業者が負担する「原因者負担」が原則であると説明されることが多い。
自治体の文化財担当者にとっては、日々の事業者協議の中で繰り返し使う、なじみのある考え方だろう。
しかし、文化財保護法を確認すると、
「開発事業者は、発掘調査費用を負担しなければならない」
という規定が、そのまま条文に書かれているわけではない。
それでは、現在の原因者負担は、何を根拠として運用されているのだろうか。
原因者負担の仕組みは、文化財保護法の一つの条文によって完成したものではない。高度経済成長期の大規模開発を背景に、文化財保護委員会の通知、公共事業者との覚書、文化財保護法の改正、行政指導、裁判例などが積み重なり、現在の形へと定着してきた。
今回は、その経緯を整理する。
文化財保護法に書かれていること
文化財保護法では、周知の埋蔵文化財包蔵地で土木工事などを行おうとする場合、民間事業等については事前の届出、国の機関等が行う事業については事前の通知が必要とされている。
現在の文化財保護法第93条は民間事業等に伴う届出、第94条は国の機関等が行う事業に伴う通知について定めている。
届出や通知があった場合、文化財保護法に基づき、埋蔵文化財の保護に必要な指示や協議等が行われる。協議の結果、遺跡を現状のまま保存できない場合には、工事に先立って発掘調査を行い、図面、写真、出土品、報告書等によって記録を残す「記録保存」が行われる。
埋蔵文化財包蔵地で工事を行う際の届出・通知や、埋蔵文化財を保護するための措置、記録保存のための発掘調査には、文化財保護法上の制度的な根拠がある。一方、その調査費用を事業者が負担する仕組みは、法律の条文だけで完結しているわけではない。
文化庁の現在の説明でも、記録保存調査の経費について、事業者に負担を「命じる」とは表現せず、「開発事業者に協力を求めています」としている。
高度経済成長期に生まれた事業者負担
現在の事業者負担の出発点として位置付けられているのが、昭和39年2月10日付けの文化財保護委員会通知、
「史跡、名勝、天然記念物および埋蔵文化財包蔵地等の保護について(依頼)」
文委庶第14号
である。
昭和39年は1964年、東京オリンピックが開催された年である。
この時期、日本では道路、鉄道、住宅団地、公共施設、都市開発などの大規模事業が急速に進められていた。開発予定地に遺跡が含まれる事例も増え、文化財の保存と国土開発をどのように調整するのかが、現実の行政課題となっていた。
文化財保護法はすでに存在していたものの、急増する開発事業に対して、
- どの段階で開発部局と文化財部局が協議するのか
- 遺跡を保存できない場合に誰が調査するのか
- 発掘調査費用を誰が負担するのか
といった具体的な運用は、十分に整っていなかった。
そこで昭和39年通知では、関係省庁に対し、埋蔵文化財包蔵地等の取扱いについて大きく三つの考え方が示された。
第一に、埋蔵文化財包蔵地等は、原則として事業計画から除外し、現状のまま保存すること。
第二に、やむを得ず事業計画から除外できず、現状保存が不可能な場合には、次善の策として発掘調査を行い、記録を保存すること。
第三に、その発掘調査は事業者の負担で行うこと。
文化庁の令和3年の調査研究委員会報告でも、この昭和39年通知が、開発事業に伴う発掘調査と費用負担の出発点として整理されている。
ここで重要なのは、事業者負担だけを切り離して理解しないことである。通知が最初に示した原則は、発掘調査をして遺跡を壊すことではなく、事業計画を変更してでも現状保存することであり、事業者負担による発掘調査は、それがどうしてもできない場合の「次善の策」として位置付けられていた。
原因者負担は、単に「遺跡があれば開発者が費用を払って掘る」という仕組みとして始まったのではなく、まず保存を検討し、それが不可能な場合に限って、開発によって失われる遺跡の記録を事業者負担で残すという、保存と開発の調整方法として生まれたのである。
公団等との覚書によって具体化された運用
昭和39年通知が出された後、文化財保護委員会等は、大規模開発を行う公共的な事業主体との間で、埋蔵文化財の取扱いに関する覚書を締結していった。
昭和40年には日本住宅公団、昭和41年には日本鉄道建設公団、昭和42年には日本国有鉄道および日本道路公団との間で、順次覚書が交わされている。
このことからも、原因者負担の仕組みが、当初から現在のような民間開発全般を対象とする統一制度として完成していたわけではないことが分かる。
最初に想定されていたのは、住宅団地、高速道路、鉄道など、高度経済成長期の大規模な公共開発であった。
通知だけでは処理しきれない実務について、個別の公共事業者との覚書によって、
- 事業計画の事前協議
- 遺跡の取扱い
- 発掘調査の実施
- 調査費用の負担
などを具体化していったのである。
このように、原因者負担は、法律によって一度に制度設計されたものではなく、現場で発生する開発と保存の衝突を処理するために、通知と覚書を重ねながら形成された。
昭和50年改正で法制化されたもの、されなかったもの
昭和50年には、文化財保護法の大きな改正が行われた。
この改正によって、国の機関等が周知の埋蔵文化財包蔵地で事業を行う場合の通知や、文化財保護部局との調整に関する仕組みが法律に組み込まれた。現在の文化財保護法第94条につながる制度である。
言い換えれば、公団等との覚書や、それまでの行政実務の中で行われてきた「開発事業を実施する前に文化財部局と協議する」という手続の一部は、昭和50年改正によって法制化された。しかし、発掘調査費用を事業者が負担すること自体は、この改正でも明文化されなかった。
この違いは重要である。現在の原因者負担について、「文化財保護法に基づく制度」と説明することは間違いではない。発掘調査を必要とする保護措置や、事業者と行政との協議は、文化財保護法を基礎としているからである。一方で、「文化財保護法に、事業者が費用を負担する義務が明記されている」と説明するのは正確ではない。
民間開発にも広がった原因者負担
公共事業との調整から始まった事業者負担は、その後、民間開発にも広く適用されるようになった。
昭和56年の文化庁通知「埋蔵文化財関係の事務処理の迅速適正化について」や、平成10年の文化庁次長通知「埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について」などを通じ、都道府県教育委員会等が開発事業者に発掘調査費用の負担を求める運用が整理されていった。
平成10年通知では、埋蔵文化財は国民共有の財産であり、本来は現状保存することが望ましいこと、開発事業によって現状保存できなくなる場合には、その原因となった事業者に記録保存調査への協力を求めるという考え方が示されている。
現在は、民間事業であれば民間の開発事業者、公共事業であれば道路、河川、建築等を所管する公共事業部門が、それぞれ開発事業費の中から発掘調査費用を負担する運用が一般的である。
したがって、「公共事業の発掘調査費は公費だから、原因者負担ではない」というわけではない。
文化財担当部局が文化財保護予算として負担するのではなく、道路や施設を整備する事業部門が、開発の原因者として事業費から負担するのであれば、仕組みとしては原因者負担である。
ただし、個人が営利を目的とせず行う住宅建設など、事業者に調査費用の負担を求めることが適当でない場合には、国庫補助等の公費によって発掘調査を行う制度も設けられている。
つまり、すべての発掘調査が一律に事業者負担となっているわけではないものの、開発事業に伴う記録保存調査については、民間・公共を問わず、事業を行う側が費用を負担することが現在の基本となっている。
裁判所は原因者負担をどう判断したのか
原因者負担の実務を支えてきたものの一つに、裁判例がある。
府中市埋蔵文化財発掘調査費用負担事件に関する東京高等裁判所昭和60年10月9日判決では、埋蔵文化財包蔵地で開発を行う事業者に対し、発掘調査費用の負担を求める行政指導が争われた。
裁判所は、行政指導そのものには法的な強制力がないことを前提としながら、埋蔵文化財包蔵地には文化財保護のための公共的な制約が内在しているとした。
そのうえで、発掘調査の指示が文化財保護法の趣旨を逸脱するほど不当なものでなく、費用負担が不当に過大でなければ、事業者が一定の経済的負担を負うことは受忍すべき範囲にあると判断した。文化庁の令和3年報告でも、この判決は、開発事業者に一定の負担を求めることが認められた裁判例として整理されている。
ただし、この判決も、「文化財保護法に事業者の費用負担義務が定められている」と判断したわけではない。行政指導として費用負担を求めることが、一定の条件のもとで違法・不当ではないと判断したものであり、原因者負担という法定義務を新たに作ったのではなく、通知と行政指導によって形成されてきた運用に一定の合理性を認めたと理解する方が正確である。
原因者負担には根拠がないのか
ここまでの経緯を踏まえると、
「原因者負担には法律上の根拠がない」
とだけ説明するのも正確ではない。
現在の原因者負担は、次のような制度と実務の積み重ねによって支えられている。
- 文化財保護法に基づく届出・通知と保護措置
- 昭和39年通知
- 公団等との覚書
- 昭和50年の文化財保護法改正
- 昭和56年、平成10年等の文化庁通知
- 都道府県・市町村の要綱や取扱基準
- 行政指導
- 裁判例
- 長年にわたる実務慣行
一方で、
「文化財保護法に、原因者負担が明記されている」
という説明も正確ではない。
原因者負担は、文化財保護法に明記された単純な金銭支払義務ではない。
文化財保護法に基づく埋蔵文化財保護の仕組みを土台として、通知、覚書、行政指導、裁判例、長年の実務によって形成され、定着してきた制度である。
制度の成り立ちを確認する意味
原因者負担は、すでに60年以上にわたり運用されている。
自治体の文化財担当者にとっては、あまりにも日常的な仕組みであるため、その成り立ちを改めて確認する機会は少ないかもしれない。
しかし、成立過程をたどることで、現在の制度が持ついくつかの特徴が見えてくる。
第一に、本来の原則は、発掘調査を行って遺跡を失うことではなく、事業計画から除外して現状保存することであった。
第二に、事業者負担による記録保存調査は、現状保存ができない場合の次善の策として始まった。
第三に、費用負担は、文化財保護法の条文だけで直接定められたものではなく、高度経済成長期の開発事業との調整の中で形成された。
こうした経緯を確認することは、現在の実務を否定するためではない。
事業者に費用負担を求める際、その根拠や性質を正確に説明するためにも必要である。また、どこまでを事業者負担として求めるのか、どのような手続で合意を形成するのかを考える際にも、制度が行政指導と協力を基礎として成立していることを理解しておく意味は大きい。
原因者負担を「昔からそうなっているから」とだけ説明するのではなく、現状保存を原則としながら、開発との調整の中で生まれた仕組みとして捉え直す。
それが、現在の埋蔵文化財行政を、より正確に理解する第一歩になるのではないだろうか。
参考資料
- 文化庁「埋蔵文化財」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/maizo.html - 文化財保護委員会「史跡,名勝,天然記念物および埋蔵文化財包蔵地等の保護について(依頼)」昭和39年2月10日付け文委庶第14号
※全文は下記・文化庁令和3年報告内に引用されている形で確認 - 文化庁「埋蔵文化財関係の事務処理の迅速適正化について」昭和56年2月7日付け庁保記第11号
※下記・平成10年通知内での言及により確認 - 文化庁「埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について」(通知)平成10年9月29日、庁保記第75号
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/pdf/hokoku_03.pdf - 文化庁「道路事業に伴う発掘調査の位置づけと発掘調査費用について」(報告)令和3年11月30日
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/pdf/93600501_01.pdf
※昭和39年通知の全文引用、覚書の年次、昭和50年改正の内容、東京高裁判決の位置づけ等 - 東京高等裁判所昭和60年10月9日判決(府中市埋蔵文化財発掘調査費用負担事件、判例時報1167号)
※事件名・判例誌の書誌情報は下記・日本不動産学会誌の論文で確認 - 「埋蔵文化財包蔵地における土地利用減退の推計」『日本不動産学会誌』第30巻第3号(2016年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jares/30/3/30_25/_pdf
※府中市事件の事件名および判例掲載情報(判例時報1167号)の確認に使用
関連記事
文化を残す費用が制度化されない日本 「国民共有の財産」というなら、誰が守るのか
発掘調査には予算がつく。では、その後は誰が支えるのか
文化財の「保管費」はどこにあるのか? 文化財行政の予算構造から見る保管の位置づけ
すべての画像・文章の転載はご遠慮ください。Unauthorized reproduction prohibited.
整理・保管・維持管理が置き去りにされる構造
発掘調査が終わっても、文化財の仕事は終わらない
発掘調査の現場が終われば、文化財の仕事も終わる——そう思われがちだ。しかし現地作業の終了後に、別の工程が始まる。出土品の洗浄・分類・接合、図面や写真の整理、台帳の作成、報告書の刊行。報告書が刊行されたあとも、出土品と記録類の長期保管が続く。
記録保存調査の性格上、遺跡は一度掘れば二度と元に戻せない。報告書と出土品は「失われた遺跡の代替物」であり、それを適切に維持することは調査そのものと切り離せない。文化庁の公表資料によれば、全国で年間9,000件程度の発掘調査が行われている。毎年それだけの調査が積み重なり、出土品と記録は増え続ける。
調査費と、調査後に必要な費用は別物として扱われている
埋蔵文化財緊急調査費国庫補助の対象経費は、現地における発掘調査作業、出土品の洗浄・復元等の整理作業、発掘調査報告書の作成とされている(会計検査院「平成16年度決算検査報告」)。この補助が主に想定しているのは、発掘調査から報告書刊行までであり、報告書刊行後に続く長期保管や維持管理を恒常的に支える仕組みではない。
開発事業に伴う発掘調査では原因者負担の原則があるが、その負担も「調査」に係る費用であり、その後の保管・維持管理費は地方公共団体が自前で手当てすることになる。
調査には財源の道筋があり、調査後には道筋がない。この構造が起点にある。
未整理・暫定保管は、すでに積み上がっている
文化庁「出土品の取扱いについて(報告)」(平成9年2月)は約30年前の資料だが、出土品の保管実態を数値で示した公開資料としてもっとも詳細なものであり、後続の「埋蔵文化財関係統計資料」各年度版には同水準のデータは掲載されていない。同報告によれば、地方公共団体に保管されている出土品は約459万箱(60cm×40cm×15cmのプラスチックコンテナ換算)に上り、当時すでに毎年約30万箱ずつ増加していた。暫定的な施設での保管が246万箱で半数強を占め、屋外野積みが約15万箱。未整理が約4割に及んでいた。
会計検査院は、国庫補助を受けた発掘調査事業について、平成元年度から15年度にかけて「埋蔵文化財の保存に係る取扱いが適切に行われていなかった」事業主体が624件に上ると指摘した。補助事業費は282億円超に及ぶ(「平成16年度決算検査報告」)。調査費を投じても、その後の保存が機能しなかった実態が公的記録として残っている。
人員体制も厳しい。全国の埋蔵文化財専門職員数は平成12年度のピーク時7,111人から減少し、平成26年5月時点で5,853人まで落ち込んだ(文化庁)。令和4年7月の文化審議会第一次報告書では、専門職員が1名配置にとどまる市町村が約40%を占め、限られた人材が他類型の文化財も兼任している実態が指摘されている。増え続ける出土品を、限られた人員で管理し続ける状況が各地で積み上がっている。
「活用」が語られる一方で、保管の財源は見えにくい
平成18年の観光立国推進基本法、平成30年の文化財保護法改正(平成31年施行)——近年の文化財政策では、保存とともに「活用」が強く意識されてきた。観光資源としての活用、地域活性化との連携、デジタルアーカイブの整備。保存と活用の一体的推進は重要な政策課題だが、活用が前面に出る一方で、整理・保管・維持管理という「調査後の仕事」をどう財源的に支えるかという議論は、十分に政策の俎上に載ってこなかった。
発掘調査の予算は文化庁補助や原因者負担の枠組みで一定程度手当てされる。しかし、調査後の長期保管・維持管理・台帳更新を継続的かつ包括的に支える財源制度は、国レベルでは十分に整備されているとは言いにくい。地方公共団体の文化財予算の中で、収蔵施設の維持管理や出土品の整理継続に独立した予算枠を確保できている自治体は多くない。「調査する予算」と「保管し続ける予算」は別物だが、後者は制度設計の外に置かれてきた。
専門的な仕事なのに、産業としても見えにくい
建設業には建設業法に基づく許可制度がある。測量業には測量法に基づく登録制度がある。地質調査業は建設関連業として国土交通省の行政上の枠組みで扱われてきた。いずれも国が「業」として認識し、制度的な枠組みを持っている。
では、年間9,000件の発掘調査を支え、膨大な出土品と記録類の整理・保管を担う民間事業者はどうか。建設業許可や測量業登録のような、国による独立した業登録制度は確認できない。日本標準産業分類においても「埋蔵文化財調査業」という独立した分類は確認できず、関連施設は博物館・美術館や研究所等の分類例に現れるにとどまる。民間の埋蔵文化財調査・整理・保管業務が一つの産業として制度上に可視化されているとは言いにくい状況だ(総務省「日本標準産業分類」令和5年改定)。
その代替として、現場では民間団体による資格制度に一定の役割を求めざるを得ない。しかし、運営団体自身の事業報告書によれば、直近4年間のCPD(継続教育)更新完了者の累計は500名に満たない。年間9,000件程度の発掘調査と、その後に続く整理・保管業務の規模を考えれば、こうした民間資格制度に業界全体の専門性や人材育成を託すには、あまりにも心許ない。国による業登録制度も、産業分類上の明確な位置づけもないまま、専門性の担保だけを民間資格に委ねることには限界がある。
問題が積み上がった先に何が待つか
文化財は、ある日突然失われるのではない。予算がつかず、整理されず、保管場所が不足し、誰も責任の所在を持てないまま、少しずつ「扱いきれないもの」になっていく。その行き着く先が、近年文化審議会で起きた博物館収蔵品の廃棄基準をめぐる議論だ。廃棄の是非を問う声は、構造的な放置の末端に現れる問いに過ぎない。
では、なぜここまで放置されたのか。根本には、この仕事が制度の外に置かれてきたという事実がある。業登録もなく、産業分類上の独立した位置づけもなく、調査後の保管を支える恒常的な財源制度もない。制度上に存在しない仕事は、予算要求の根拠にも、政策立案の対象にもなりにくい。子育て、介護、インフラ整備には直接的な生活影響と数値目標がある。文化財の整理・保管にはそれがない。ニッチすぎて見えないから予算がつかず、予算がつかないから担い手が育たず、担い手が育たないから問題がさらに見えにくくなる——この循環が長年続いてきた。
それでも、問題が見えていなかったわけではない。文化庁の統計資料にも、会計検査院の指摘にも、文化審議会の報告書にも、この問題はすでに記録されている。記録はある。動かなかっただけだ。あとは、それを立法・政策の議論に乗せる意志があるかどうかだ。
(特定非営利活動法人文化財保管活用支援機構 CPSUS)
CPSUSでは、出土品の整理・保管支援およびデータ管理の仕組みづくり支援を行っています。収蔵庫不足、未整理資料の対応、データ化の進め方などについてのご相談は、お問い合わせフォームよりお気軽にどうぞ。
本コラムの内容についての取材・引用のご連絡もこちらからお願いします。
参照資料
- 文化庁「埋蔵文化財」公式ページ
- 文化庁「出土品の取扱いについて(報告)概要版」(平成9年2月) ※約30年前の資料だが、出土品保管実態を数値で示した公開一次資料としてもっとも詳細なもの。後続の「埋蔵文化財関係統計資料」各年度版には同水準の保管状況データは掲載されていない
- 会計検査院「平成16年度決算検査報告」
- 文化審議会「これからの埋蔵文化財保護の在り方について(第一次報告書)」(令和4年7月22日)
- 総務省「日本標準産業分類」(令和5年7月改定)
- 公益社団法人日本文化財保護協会「事業報告書」(令和4〜7年度)
関連記事
文化財の「保管費」はどこにあるのか? 文化財行政の予算構造から見る保管の位置づけ
文化財を捨てる前に考えるべきこと 収蔵庫不足、遺物選別、そして「文化財廃棄問題」
博物館の「望ましい基準」に「廃棄」が明記されたとき、先に問うべきこと
文化財保護法は、文化財の保存と活用を通じて国民の文化的向上に資することを目的としている。また文化庁は、文化財を「貴重な国民的財産」、埋蔵文化財を「貴重な国民の共有財産」と説明している。一方で、保存・調査・整理・保管に必要な費用は、現実にはどのように賄われているのか。その負担のあり方は、この理念に見合ったものになっているのか。
本稿では、現行制度の財源構造を整理しながら、この問いを考えてみたい。
文化財を「守る」制度はあるが、「支える」財源はあるのか
この目的規定から分かるように、文化財は単なる所有物ではなく、社会全体にとって価値を持つものとして扱われている。重要文化財には現状変更への規制が課せられ、所有者には管理義務が発生する。
制度として整備されているのは、保存・管理・修理・公開・届出・規制・補助の枠組みだ。価値を守ることが中心に置かれ、文化財を活用して収益を生み、その収益を保存に再投資する循環は、少なくとも制度の中心には置かれてこなかった。「守る責任」は課されるが、「支える財源」を恒常的に生み出す仕組みは、制度の本体にはない。
補助金は、文化財の日常を支えられるのか
国や自治体の補助制度は、文化財保護における重要な支援の柱である。文化財保護法は、重要文化財の管理・修理に経費がかかり所有者等が負担に堪えない場合、国が補助金を交付「することができる」と定めている。
しかし補助金は、修理・整備・防災・活用事業など特定の目的・期間を対象とした支援として設計されている。単年度ごとに予算が組まれ、採択の可否がある。出土品の保管・台帳整備・人材育成といった日常的な管理業務を安定して賄う財源とはなりにくい。
地方自治体の文化財補助も「することができる」という任意規定であり、各自治体の財政判断に委ねられている。限られた予算の中で、文化財は「重要だが緊急ではない」として後回しになりやすい。その構造が、日常的な保管体制の整備を難しくしている。
発掘調査費は、なぜ開発者が負担するのか
埋蔵文化財については、別の財源の仕組みがある。文化庁は、開発によって遺跡を現状保存できない場合、記録保存のための発掘調査費を「開発事業者に協力を求める」という考え方を示している。
原因者が費用を負担するという論理自体は理解できる。しかし、調査で得られた成果は開発事業者のものではない。報告書は公刊され、出土品は公的機関が保管し、地域の歴史資料として共有されていく。成果が公共的に利用される一方で、費用を負担するのは偶然その土地を開発した一者である。
また、この仕組みが対象とするのは「記録保存調査の費用」に限られる。出土品の長期保管・整理・台帳管理・将来の活用体制の整備は、事業者負担の射程に入っていない。「掘るための費用」と「残すための費用」は、現行制度では切り離されている。
クラウドファンディングは、基礎財源になり得るのか
近年、文化財・博物館分野でクラウドファンディングを活用する動きが広がっている。文化庁の委託事業としてまとめられた「博物館ファンドレイジングガイドブック」でも、クラウドファンディングや遺贈寄付を博物館の経営基盤強化の手法として紹介しており、特別展示や修復プロジェクトなど共感を得やすい取り組みでは有効に機能する面がある。
しかし、保管費や人件費をクラウドファンディングで賄わざるを得ない状況は別の問題を生む。支援が集まるかどうかは、資料の「人気」と発信力に左右される。地味でも重要な資料は注目を集めにくく、市場原理に沿った選別が静かに進みかねない。文化財の保護は、本来「バズるかどうか」で左右されてよいものではない。
基礎的な保存費の補填としてクラウドファンディングが機能せざるを得ない状況は、制度が担うべき役割が現場から社会の善意に転嫁されていることを意味する。
「活用」を語る前に、保管・整理は支えられているか
近年の文化財行政では、「保存」とともに「活用」が重要な政策課題として位置づけられている。しかし活用は、保管・整理・台帳整備の上にしか成立しない。資料の所在が把握されていなければ展示も研究もできないし、整理されていなければ何が存在するかすら分からない。
文化庁の報告でも、出土品の適切な保管・管理には情報管理システムの整備、恒常的な施設、専門的な職員体制が必要だと示されている。日本学術会議の提言でも、地方公共団体における埋蔵文化財専門職員の世代交代や採用不調、専門人材不足への懸念が示されており、人材面での体力不足も構造的に表れている。
「活用」を進めるための議論は盛んになっている一方で、その前提となる保管・整理を支える財源の議論は、政策として十分に位置づけられているとは言いにくい。
価値は社会全体で享受し、費用は現場が負う構造
文化財が資金体力を持てないのは、その価値が低いからではない。社会全体で享受される一方で、費用だけが現場・所有者・自治体・開発者・寄付者に分散してきた構造の問題ではないか。
国民共有の財産であるなら、その保存・調査・整理・保管に必要な費用を社会全体で負担する制度を持つことが、本来の姿に近いはずだ。特定事業向け補助金ではなく保管・整理・台帳整備を対象とした恒常的な財源の議論、開発利益や観光収益を保存現場に還流させる仕組みの検討は、より積極的に行われてよい。
クラウドファンディングや寄付が「上乗せ財源」として機能することは有意義だが、基礎的な保存費の穴埋めとして機能せざるを得ない現状は、「国民共有の財産を守る責任」の所在を制度の外に押し出すことになる。
文化財を守り続けるためには、保存の理念と、それを支える財源設計を切り離さずに議論する必要がある。その問い直しが、今求められているのではないか。
CPSUSでは、文化財の収蔵・整理・管理体制に関する課題整理や、保存・活用に向けた体制づくりのご相談を受け付けています。現状の整理から今後の方向性の検討まで、お困りのことがあればご相談ください。
参考資料
文化財保護法(昭和25年法律第214号)
文化庁「埋蔵文化財」
文化庁「埋蔵文化財の発掘調査に係る出土品・記録類の適切な保管・管理について」(平成15年1月20日、14財記念第107号)
文化庁「出土品の保管について(報告)」(平成15年10月)
文化庁「文化財補助金実務ガイドブック」(令和7年12月、文化資源活用課)
文化庁委託・日本ファンドレイジング協会「博物館ファンドレイジングガイドブック」(令和5年3月)
日本学術会議「持続的な文化財保護のために―特に埋蔵文化財における喫緊の課題―」(平成29年8月31日、史学委員会文化財の保護と活用に関する分科会)
関連記事
文化財の「保管費」はどこにあるのか? 文化財行政の予算構造から見る保管の位置づけ
文化財活用推進事業の公募が始まった。― 活用と保管、両輪で進めるために今考えたいこと ―
クローズアップ現代の放映に見る ”残す意味があるのか”に、どう答えるか
―文化財の価値を、いま誰が決めるのか
2026年5月19日、NHK「クローズアップ現代」が博物館の収蔵庫問題を取り上げた。全国の博物館の6割以上で収蔵庫が満杯になっており、西日本のある博物館では収蔵品の約3分の2を数年かけて焼却処分したという。寄贈を申し出ても断られ続ける地域住民の声も紹介された。
番組では、奈良県知事がこう発言した。「明確なルールを決めた上で価値のあるものだけ残して、それ以外のものは廃棄処分するということ含めて検討せざるを得ない」。
一見、合理的に聞こえる。限られた予算と収蔵スペースの中で、何かを選ばなければならない。その苦しさは理解できる。しかし、この言葉には問い返さなければならないことがある。「価値のあるもの」を、誰が、何を根拠に、いつ決めるのか。
「価値のあるものだけ残す」という言葉の危うさ
文化財の価値は、時代とともに変わる。
国立科学博物館には、長年「山犬の白骨」として保管されてきた資料があった。2024年、再調査によってそれが絶滅した日本狼であることが判明した。130年にわたって保存されてきたからこそ生まれた発見だ。もし「価値が不明確」という理由で処分されていたら、その事実は永遠に失われていた。
これは例外的な話ではない。DNA解析、AIによる画像解析、新しい年代測定技術——研究手法は常に更新される。かつて「ただの古道具」として扱われた民具が、民俗学研究の進展によって地域文化の証拠になった。「石ころ」同然に扱われた黒曜石の破片が、産地分析によって縄文時代の交易ルートを示す資料になった。価値は最初からそこにあったのではなく、問いを持った研究者が現れたときに初めて見出された。
「価値があるかどうかわからない」という状態と、「価値がない」という判断は、まったく別のことだ。その区別が、今の議論の中で曖昧になっていないか。
埋蔵文化財は、「数」があるから見えてくる
博物館の収蔵庫問題では、民具や農具が「同じようなものが多すぎる」として槍玉に挙がりやすい。クローズアップ現代でも、くるりぼう(麦や豆の脱穀に使う農作業道具)が50本以上収蔵されている場面が紹介され、「1〜2本あればいいのでは」という感想が添えられた。
しかし、それは違う。
50本のくるりぼうをよく見ると、叩く部分が細長いもの、平で長いもの、太くて重いものと、一本一本形状が異なる。その差異が、地域ごとの農業形態や気候条件、職人の技術的系譜を示す。同番組では、広島県の漁業に関する資料130点近くが、まとまって保存されることで地域の産業文化を語る資料群として評価された事例も紹介されていた。一点では語れないものが、集合として初めて語り始める。
埋蔵文化財も同じだ。土器1点では、その地域に縄文時代の集落があったことしかわからない。同一遺跡から出土した土器群を型式・層位・出土位置とともに整理すると、集落の変遷、他地域との交流ルート、食生活の変化が浮かび上がる。石器の組成を分析すれば石材の入手経路がわかり、獣骨の種類と量を比べれば季節ごとの活動圏が見えてくる。資料は単体ではなく、関係性として意味を持つ。
「同じようなものが多い」という感覚は、その資料の使われ方を知らないときに生まれる。「何のために残すのか」という問いに答えられないまま廃棄の議論が進むとき、最初に切り捨てられるのはこの「数の論理」で守られてきた資料群だ。
「やむを得ない」が、歯止めにならない理由
多くの文化財担当者は、この問題を誰よりもよく知っている。収蔵庫が満杯であることも、廃棄の不可逆性も、頭では理解している。それでも予算要求は通らず、収蔵庫の新設は見通しが立たず、寄贈の申し出を断り続けるしかない。「どうすればいいか」という問いを持ちながら、相談できる相手も参照できる前例も少ないまま、日々の判断を迫られている。
2026年3月、国は博物館の運営基準を改正し、収蔵品の廃棄を初めて明記した。「他の手段を検討した上で、なおやむを得ないと認められる時において慎重に行う」という文言だ。
クローズアップ現代に出演した専門家は、改正プロセスが約1年・4回の検討会という短期間で行われたことへの懸念を示した上で、こう指摘した。行政文書において「検討したが、やむを得ない」と書き込めれば手続き上は通ってしまう。「やむを得ない」という言葉は、実効的な歯止めにならない、と。
実際、地方の一部自治体では「収蔵庫がいっぱいになったら廃棄してもよい」という解釈が出始めているという。文言が独り歩きすることは、行政の運用では珍しいことではない。
栃木県立博物館が全国に先駆けて定めた廃棄基準は、誠実な試みだ。担当学芸員から担当課内の会議、企画会議、外部有識者を含む資料評価委員会へと、複数段階の審査を経る仕組みになっている。しかし、ルールがあることと、未来に責任を持てることは別の問いだ。外部有識者を含む委員会も、現在の専門知の枠の中にある。30年後の研究が何を必要とするかを、誰も知ることはできない。
「ルールがあるから安心」という着地点には、慎重でなければならない。
本当に必要なのは、「未来に判断を渡す」こと
「残す意味があるのか」という問いに、今の私たちは完全には答えられない。
求められるのは「今すぐ価値を決め切ること」ではなく、未来の人間が判断できる状態を維持して引き渡すことだ。資料を保管し、記録し、整理し、アクセス可能な状態に保つこと。廃棄はその選択肢をすべて尽くした先にある最終手段のはずだが、現実には財政的・物理的な限界が先に来て、他の手段を検討する前に廃棄の議論に入るケースが生まれている。
廃棄は問題を解決しない。資料がなくなれば収蔵スペースの問題は緩和されるが、それは「文化財を未来に引き継ぐ」という本来の使命を削ることで成り立つ。
同番組では、収蔵庫の新設に約9億円を要した事例とともに、収蔵庫を地域活性化の拠点と組み合わせて国の補助金を引き出した事例、複数施設が共同整備でコストを分担した事例も紹介されていた。財政的に不可能に見えた課題に、異なるアプローチで突破口を開いた事例はすでに存在する。
「廃棄か、現状維持か」という二択の中でこの問題を論じている限り、議論は袋小路に入る。その二択の外側に、まだ十分に検討されていない選択肢がある。それについては、次回のコラムで論じたい。
このコラムについて
CPSUSは、埋蔵文化財の保管・活用に関わる現場の課題を、政策・実務・制度の各層から発信しているNPOである。収蔵庫の不足、資料整理の停滞、廃棄の判断基準、外部保管の可能性—これらのテーマについて、自治体の文化財担当部署や教育委員会からの相談を受けている。
CPSUSでは、文化財の保管・活用に関する課題について、現場の状況を伺いながら、整理の方向性を一緒に考えている。収蔵庫不足、資料整理、廃棄基準、外部保管の可能性などで行き詰まりを感じている場合は、お問い合わせフォームからご相談いただきたい。
参考資料
- NHK「クローズアップ現代」廃棄や受け入れストップも…文化財”消失”の危機(2026年5月19日放送)
- 文化庁「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示(令和8年文部科学省告示第69号)について」
関連記事
国立博物館に『収入目標65%』の衝撃ー文化財政策はどこへ向かうのか
博物館「収益目標」報道のあとに起きたこと 文化庁が公表した説明とは
文化財の「保管費」はどこにあるのか? 文化財行政の予算構造から見る保管の位置づけ
「魅せる収蔵庫」が問いかけること― 収蔵庫に入れてもらえない遺物は、どこへいくのか ―
「来られない」構造から考える文化財行政の人材問題
「学芸員の応募者が来ない」という声が、SNS上で話題になっていた。
自治体職員とみられるアカウントが、学芸員を募集したものの応募がなかったと投稿したことをきっかけに、多くの反応が寄せられていた。
資格は持っている。しかし、その給与水準では生活が成り立たない。
大学院まで進み、専門性を身につけても、任期付きや非正規雇用では将来設計が難しい。
あるいは、「学芸員になりたかったが、就職氷河期の頃は募集自体がほとんどなかった」という声もあった。
感情的な表現も少なくなかったが、単なる不満として片付けられる話ではない。
そこには、長年積み重なってきた文化財行政の構造的な問題が表れている。
本稿では、「学芸員が来ない」という現象を、単なる人手不足ではなく、専門人材の維持と継承という観点から整理してみたい。
「来ない」のか、「来られない」のか
まず、問いの立て方を変える必要がある。
本当に、文化財分野を志望する人材が減ったのだろうか。
それとも、志望しても働き続けられる条件が整わず、その結果として現在の状況が生まれているのだろうか。
1990年代後半から2000年代にかけて、多くの自治体では財政悪化や行政改革の影響を受け、専門職員の採用が抑制された。これは、いわゆる就職氷河期の時期とも重なる。
文化財行政や博物館分野を志望していても、採用枠そのものが少なく、別の職業へ進まざるを得なかった人材は少なくない。
現在、埋蔵文化財行政や博物館現場では、「中堅世代が少ない」という声を耳にすることがある。若手と定年前後のベテランの間が薄く、現場を支えるべき年代の層が十分に形成されていない、という感覚である。
これは個人の努力不足ではなく、採用が継続されなかった時期が存在した結果とも言える。
専門職は、採用を止めればすぐに断絶する。数年採らなかっただけでも、十数年後には中堅層の不在として現れる。
文化財行政は、その影響を現在になって受け始めている。
数字が示す埋蔵文化財行政の変化
こうした変化は、文化庁の統計資料にも表れている。
文化庁「埋蔵文化財関係統計資料 ―令和7年度―」(令和8年3月)によれば、全国の埋蔵文化財専門職員数は平成12年度に7,111人を記録した。その後減少傾向が続き、令和7年5月時点では5,571人となっている。内訳は、都道府県1,693人、市町村3,878人である。
ピーク時から約1,540人が失われた計算になる。
一方で、発掘届出等の合計件数は令和6年度で78,368件となっており、業務量そのものが大きく減少しているわけではない。
つまり、「人が減り、仕事は減っていない」という構造が、統計上も確認できる。
さらに重要なのは、その内訳である。
近年は、会計年度任用職員や任期付き職員への依存が進んでいる自治体も少なくない。統計上は「専門職員数」として計上されていても、数年で任期が終了する場合、継続的な知識蓄積は難しい。
埋蔵文化財行政は、単純な作業労働ではない。
遺構や遺物の理解だけでなく、地域史、過去の調査履歴、収蔵状況、報告書との対応関係など、多くの情報を長期的に把握しながら業務を行う必要がある。
しかし、担当者が短期間で入れ替われば、その蓄積は継続しにくい。
人員の「数」だけでは見えない問題が、そこにはある。
「経験者が欲しい」が、経験を積めない
もう一つ、埋蔵文化財分野には独特の難しさがある。
多くの自治体では、採用時に発掘調査経験や報告書作成経験を求める傾向がある。少人数体制の現場では、採用直後から一定の実務能力が必要になるためである。
その事情自体は理解できる。
しかし、文化庁「適正な埋蔵文化財行政を担う体制等の構築について」(平成26年報告)では、大学で発掘調査経験を積む機会が限られていることや、実践的な人材育成体制が十分ではないことが課題として挙げられている。
つまり、現場は経験者を求めるが、その経験を積める場が不足している。
採用されなければ経験が積めない。
しかし、経験がなければ採用されにくい。
この循環の中で、資格を取得しても文化財分野から離れていく人材が積み重なってきた。
SNSで見られる「あの時採用されなかった」という声は、単なる感情論ではなく、この構造の中で生まれている。
専門性に見合う処遇になっているのか
ここで、待遇の問題にも触れなければならない。
専門人材の確保を本気で考えるなら、給与水準や雇用形態の見直しは避けて通れない。
発掘調査経験や報告書作成経験を求めながら、任期付き・低水準の待遇で募集を続けても、人材が集まりにくいのは当然である。
文化庁の令和6年度講習会資料でも、発掘調査の現場環境や労働条件の改善は課題として挙げられている。これは単に作業環境の問題にとどまらない。専門職として働き続けられる条件を整えなければ、人材の確保も定着も難しくなるということである。
文化財行政を担う職員は、単に「文化財が好きな人」ではない。
発掘調査、法令理解、資料管理、報告書作成、保存処理、住民対応など、多岐にわたる専門業務を担っている。自治体によっては、開発事業との調整や事業者対応まで担当する場合もある。
しかし、文化財行政は自治体内部で優先順位が高い分野とは言い難い。
福祉、防災、子育て、インフラ整備と比べれば、文化財予算や専門職員の配置は後回しになりやすい。
しかも文化財行政の問題は、すぐには表面化しない。
整理遅延、台帳不整合、未報告資料、引継ぎ不足といった問題は、数年から十数年かけて徐々に蓄積していく。そのため、危機が見えにくいまま、人員削減や非正規化が進みやすい構造がある。
ここで問われるのは、応募者の意欲ではない。
専門職員が減り、届出件数は高水準のまま、少人数配置の自治体が多く、採用後の離職も一定数生じている。さらに、待遇や労働環境の改善も課題として示されている。
こうした状況でなお、「募集したのに来ない」とだけ言うのであれば、それは人材側の問題ではなく、受け入れる側の条件設計を見直すべき段階に来ているということではないか。
「文化財が好きな人なら来てくれる」という前提は、すでに成り立たなくなっている。
文化財行政は、専門職の善意や使命感だけで維持できる段階を過ぎつつある。
問題は「人数」だけではない
文化財行政の人材問題は、単に「人が足りない」という話では終わらない。
むしろ深刻なのは、知識や判断が個人に依存しやすいことである。
文化庁「埋蔵文化財専門職員の育成について」(令和2年3月)では、市町村における埋蔵文化財専門職員の配置状況について、1〜2名配置の自治体が40.9%、3名配置が21.1%とされている。
多くの自治体では、少人数体制で日常業務を回している。
その中で、担当者は長年にわたり地域の情報を蓄積していく。
どの遺物がどこに保管されているか。
過去の整理作業はどこまで終わっているか。
古い台帳と現在の収納状況に差異はないか。
未報告資料は残っていないか。
そうした情報は、本来であれば組織として共有されるべきものである。
しかし現実には、個人の経験や記憶に依存している場面も少なくない。
担当者が異動・退職した後、「台帳は存在するが現状と一致しない」「資料の所在確認に時間がかかる」「前任者でなければ経緯が分からない」といった状況が生じることがある。
文化庁資料では、埋蔵文化財専門職員の採用後3年以内離職率について、令和元年度18.7%、令和2年度11.5%、令和3年度11.2%という推定値も示されている。
採用できるかどうかだけでなく、採用した人材が現場に定着し、経験を積み重ねられるかどうかも課題になっている。
もちろん、全国の自治体が同じ状況というわけではない。丁寧に管理体制を維持している自治体も存在する。
ただ、人員削減と継続性の低下が進む中で、知識継承の問題が顕在化しやすくなっていることは否定できない。
文化庁の資料でも、専門人材の継続的な確保や、行政体制の維持の重要性は繰り返し指摘されている。
持続可能な文化財行政とは何か
文化財を守るというと、遺物や建造物そのものに意識が向きやすい。
しかし、実際には、それを扱う人材や運用体制が維持されなければ、保存も活用も成立しない。
たとえば、収蔵資料の整理状況が担当者個人にしか分からない状態では、異動や退職が発生した瞬間に業務は停滞する。
未整理資料の有無が把握できない。
台帳更新のルールが共有されていない。
写真データと実物資料の対応関係が不明確になる。
そうした状態が続けば、現場は「判断できない」状態へ近づいていく。
近年、文化財行政ではDX推進やデータベース整備の必要性も議論されているが、本質は単純なデジタル化ではない。
重要なのは、「誰か一人だけが分かっている状態」から脱却できるかどうかである。
専門知識を軽視するという意味ではない。むしろ逆である。
専門性が重要だからこそ、その知識を継続的に引き継げる仕組みが必要になる。
ベテランの退職は続く。
知識は、人とともに現場を離れていく。
その一方で、現場では「誰に相談すればよいのかわからない」という声も少なくない。
文化財行政に必要なのは、専門職員を増やすことだけではない。判断や知識を個人の中だけに閉じ込めず、必要な時に相談でき、引き継げる環境をどう維持するか——その仕組み自体が問われている。
「募集しても来ない」という声の背景には、単なる人手不足ではなく、専門的な知識と経験をどのように継承していくのかという、文化財行政そのものの課題が横たわっている。
参考資料
文化庁「埋蔵文化財関係統計資料 ―令和7年度―」(令和8年3月)
文化庁「適正な埋蔵文化財行政を担う体制等の構築について」(平成26年10月)
文化庁「埋蔵文化財専門職員の育成について」(令和2年3月)
文化庁「埋蔵文化財保護行政の現状と課題 令和6年度講習会版」
関連記事
文化財の課題が見えにくい理由 -行政・現場・社会の構造問題-
文化財はなぜ必要なのか 社会・行政・地域における役割と現状
文化財の整理と保管が進まない理由 ― 現場の課題と民間連携の可能性文化財の整理と保管が進まないわけ
「魅せる収蔵庫」が問いかけること― 収蔵庫に入れてもらえない遺物は、どこへいくのか ―
文化財を捨てる前に考えるべきこと 収蔵庫不足、遺物選別、そして「文化財廃棄問題」